原木を見る
とはどういうことか、ご存知の方も多いいかと思います。
原木を切り分け加工すると、それぞれが名前を持ついろいろな道具に変わります。
一つの道具が生まれれば、それらを使ってさらに別の名前を持つものが生まれてゆきます。
この段階ですでに、生まれた道具の名前から最初の「原木のすがた」=真理が分からなくなってしまっています。
私たちが真理を知ることが難しいのは、すでに加工されて名前が付けられたものばかりを見るからです。
きれいに加工された木工品からもとの原木の姿を見ることが難しいのと同じです。
これが、医学の世界も科学の世界も、およそ現代の抱えている問題のすべての根源だと思います。科学的根拠というなのもとに、原木が無視されています。
ネットであふれる情報をもとに多くの人は判断しますが、誰一人としてその情報のもとを知ろうと努力しません。
思い起こせば、子供のころから元を知る修行をさせてもらっていたのだなと、つくずくありがたく思うこの頃です。